旧裏時代の私がブルブルやってみた【XY4~XY7まで総括】
2015年6月14日コメント (2)まず私がポケモンカードを始めたのは小学生の頃18年ぐらい前になんのかな~
スリーブなんて文化も、ましてやインターネットなんてものもお金持ちの家がISDN引いてるぐらいでした。
おもちゃ屋に行くたびにカードのパックを買い、ゲームの合間、夏休みにポケモンカードを友達とやっていました。まだその頃は友達に勝てればいい、そう思って始めてました。
一番初めての公式大会は小学6年生?の頃、どうしても行きたくて仙南から電車に1人で乗って仙台の141ビルまで行く計画でした(結局心配になった親が送ってくれました)
その時は1時間前後並んで1試合、負けたらまた並び直しと小学生+カードゲ-ムに全く関心のない親の組み合わせは全くコンボにならず、一戦目に悪いギャラドスにやられたの今でも覚えています。
中学生になり、カードをやめる人、部活に勤しむ人が増えてくる中、フォルテのおもちゃ屋サニーランドにてポケモンカードの大会が始まりました。
サニーランドがまだ2階にあった頃です、当時のデッキはリザードン+バクフーンで高打点を叩き出すデッキ使ってました。
今更考えると旧裏制限無しなのによくこんなデッキを使っていたのだと今更・・・w
20人前後いた初回大会も、何故か私は決勝まで行き、決勝にて高校生ぐらいのガチ勢と当たったのです。相手ストライク、コチラリザードンで弱点のおかげか、初代サニーランド優勝の座を頂きました。余韻に浸っていると、見たことのある顔・・・そうです、この時にビーサンと出会いました。
これが無ければ私のポケモンカードはガチ勢にならず、多分部活に勤しむ勢になっておりました。
ビーサン先輩のお陰で、その後白石のタイムマシン、大河原の公民館を借りて行われていた自主大会も参加して私のガチレベルは上がっていきました。
この頃にパソコン通信を4枚入れたり、オーキド博士を4枚積む事を覚えました。最初はなぜそこまでカードを大量に引くか謎だったの覚えています。
↑ここまでは過去編
今思うと本当に今の小学生達はガチ環境で育ってると実感するばかりであります。
まずコレを読んでる小学生はいないと思うが、親が一緒になってカードゲームやってくれるのに感謝?すべきだと常々思います。もちろん、親が楽しんでる環境ではあるとはおもうが、財力も行動範囲も段違いですもの。
さて現在編に戻ります。
私がポケモンカードを復活したきっかけはポケモンの公式Twitterです。
ポケモンのゲームガチ勢だった私は初期の頃からフォローしており、時々優勝デッキが流れてきます。その度にルールやある程度強カードを知ってる身として「あーこんな環境で今進んでるんだ」と時々カードに引き戻されます。
そして復活のきっかけの1枚
ガマゲロゲEX
「このカード4枚集めれば、簡単に強デッキつくれるんじゃね?」
当時おもいました。
ガマゲロゲEX+ダストダスが優勝した時ですね。
特性をロックするダストダス
ダストダスのグッズを守るガマゲロゲ
なんてシナジーなデッキだろう、デッキの半数以上〆ているグッズをロックする=引いたカードがグッズな場合ドローロック
私のポケモンカードはここから始まり、そして一旦ココで終わるのです。そう・・・ガマゲロゲEXの終焉と共に
ジムバトルを優勝させてくれたのもガマゲロゲEX×3回
思い出深い物があります。
来週にはXY7が発売、奥の手が禁止、家庭環境の変化
カードゲームは最終的にはプレイ環境次第だと思っております。対戦頻度(週に何回大会に出れるか、家庭に一緒にプレイしてくれる人がいるのか)
私は時間が足りなくなりました。そして気軽にプレイ出来るPTCGOとの存在
しばらく子育てガチ勢として家庭環境を守ろうと思います。
スリーブなんて文化も、ましてやインターネットなんてものもお金持ちの家がISDN引いてるぐらいでした。
おもちゃ屋に行くたびにカードのパックを買い、ゲームの合間、夏休みにポケモンカードを友達とやっていました。まだその頃は友達に勝てればいい、そう思って始めてました。
一番初めての公式大会は小学6年生?の頃、どうしても行きたくて仙南から電車に1人で乗って仙台の141ビルまで行く計画でした(結局心配になった親が送ってくれました)
その時は1時間前後並んで1試合、負けたらまた並び直しと小学生+カードゲ-ムに全く関心のない親の組み合わせは全くコンボにならず、一戦目に悪いギャラドスにやられたの今でも覚えています。
中学生になり、カードをやめる人、部活に勤しむ人が増えてくる中、フォルテのおもちゃ屋サニーランドにてポケモンカードの大会が始まりました。
サニーランドがまだ2階にあった頃です、当時のデッキはリザードン+バクフーンで高打点を叩き出すデッキ使ってました。
今更考えると旧裏制限無しなのによくこんなデッキを使っていたのだと今更・・・w
20人前後いた初回大会も、何故か私は決勝まで行き、決勝にて高校生ぐらいのガチ勢と当たったのです。相手ストライク、コチラリザードンで弱点のおかげか、初代サニーランド優勝の座を頂きました。余韻に浸っていると、見たことのある顔・・・そうです、この時にビーサンと出会いました。
これが無ければ私のポケモンカードはガチ勢にならず、多分部活に勤しむ勢になっておりました。
ビーサン先輩のお陰で、その後白石のタイムマシン、大河原の公民館を借りて行われていた自主大会も参加して私のガチレベルは上がっていきました。
この頃にパソコン通信を4枚入れたり、オーキド博士を4枚積む事を覚えました。最初はなぜそこまでカードを大量に引くか謎だったの覚えています。
↑ここまでは過去編
今思うと本当に今の小学生達はガチ環境で育ってると実感するばかりであります。
まずコレを読んでる小学生はいないと思うが、親が一緒になってカードゲームやってくれるのに感謝?すべきだと常々思います。もちろん、親が楽しんでる環境ではあるとはおもうが、財力も行動範囲も段違いですもの。
さて現在編に戻ります。
私がポケモンカードを復活したきっかけはポケモンの公式Twitterです。
ポケモンのゲームガチ勢だった私は初期の頃からフォローしており、時々優勝デッキが流れてきます。その度にルールやある程度強カードを知ってる身として「あーこんな環境で今進んでるんだ」と時々カードに引き戻されます。
そして復活のきっかけの1枚
ガマゲロゲEX
「このカード4枚集めれば、簡単に強デッキつくれるんじゃね?」
当時おもいました。
ガマゲロゲEX+ダストダスが優勝した時ですね。
特性をロックするダストダス
ダストダスのグッズを守るガマゲロゲ
なんてシナジーなデッキだろう、デッキの半数以上〆ているグッズをロックする=引いたカードがグッズな場合ドローロック
私のポケモンカードはここから始まり、そして一旦ココで終わるのです。そう・・・ガマゲロゲEXの終焉と共に
ジムバトルを優勝させてくれたのもガマゲロゲEX×3回
思い出深い物があります。
来週にはXY7が発売、奥の手が禁止、家庭環境の変化
カードゲームは最終的にはプレイ環境次第だと思っております。対戦頻度(週に何回大会に出れるか、家庭に一緒にプレイしてくれる人がいるのか)
私は時間が足りなくなりました。そして気軽にプレイ出来るPTCGOとの存在
しばらく子育てガチ勢として家庭環境を守ろうと思います。
コメント
本文を読ませていただいて
男としての決意を感じました。
またお会いできることと、対戦できること
楽しみにしてます。
母子ともに健康でありますように・・。
リンクいただいていきます。
中盤からの参戦で対戦はできませんでしたが、またうんざり会に参加出来るようになれば是非対戦しましょう!
こちらもリンクもらっていきます